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カテゴリ:本
  • ジュリエットの卵
    [ 2010-06-29 22:19 ]
  • 単純な脳、複雑な「私」
    [ 2010-06-20 07:57 ]
  • 進化しすぎた脳
    [ 2010-06-13 21:33 ]
  • 奇跡の脳
    [ 2010-06-01 22:23 ]
  • アンダーカレント
    [ 2010-05-31 23:27 ]
  • レンタルチャイルド
    [ 2010-05-23 15:41 ]
  • オー!ファーザー
    [ 2010-05-20 23:21 ]
  • タウ・ゼロ
    [ 2010-05-14 22:25 ]
  • アンドロイドは電気羊の夢を見るか
    [ 2010-05-06 22:37 ]
  • 数学は最善世界の夢を見るか?
    [ 2010-04-28 23:14 ]
ジュリエットの卵
漫画本もよく読む。
最近だと、『乙嫁語り 2巻』、『イタリア家族 風林火山』が届いたばかりで、家族内でまわし読みである。
両方ともはげしくいい。
ついでに(?)amazonをうろうろしていると、吉野朔実の『ジュリエットの卵』に行き着いてしまい、
ああこれは読んでなかったんだと、クリックしてしまった。恐るべしamazon。
そして我が家はプライム会員。当日に、遅くても次の日に届くのだ。

10代のころは、吉野朔実や佐藤 史生をよく読んだ。

自分の気持ちのゆれを感じると、名前をつけたり分類やラベリングしたりしがちな私の回路だけれど、
こう、ただ透明な液体にシワが浸され漂える感じを味わえる吉野朔実。
『ジュリエットの卵』は『月下の一群』と『ECCENTRICS』 の途中にあるような...
あ、実際、発表時期もその順番らしい。

双子の妹を愛した水(ミナト)に対して、双子の兄を愛した妹の蛍がラストに言う。
   水 世界は美しいのよ
   生命は、ただそれだけで美しいの
この言葉を見て、10代の私だったら、
その言葉のつくる響きに、ただただ自分を漂わせることができたと思うのだけど。
自分の健全さを、そうではなく、何か特異なものだと勘違いもできたと思うのだが。

今は、その言葉の並びに僅かに傲慢さを嗅ぎ取ってしまうのだ。
20年近くたって経験とか知識を重ねてきて、
何かを得て何かをなくしてしまったことの確認と
当時の自分に対する甘酸っぱさを感じながら読む。

『ジュリエットの卵』、懐かしい匂いがして好きです。

ジュリエットの卵



■■■
今日も娘と家に帰る途中、一緒になった。やはりアイスを食っている。
ガリガリ君、梨味!? 一口食ちょうだい。 お。うまー。

家に着いて、娘が言う。
 「今日さ、紳士からティッシュをいただいたの。」
 「へ?」
 「あの。電車でさ、鼻水が出そうになってレシートで鼻をかもうとしてたんだよね。
  そしたら、”これ使ってください”って隣の紳士がティッシュくれたの。
  すぐ電車おりていっちゃったんだよ。 紳士だわー。」

紳士って、....それよりも レシートで、鼻をですかい....。
 「あの、電車でレシートで鼻をかむなんて恥ずかしいよ。やめなさいよ。」
 「ママだって恥ずかしいとこ、あるじゃない。人のこと言わないで。」(←このへんからあやしい雲行き)
 「どこが恥ずかしいわけ?」
 「そんなの自分で考えな!」
 「とにかくレシートで鼻をかむのは恥ずかしい!」
 「そんな恥ずかしいとかそうじゃないとかは自分で決めることでしょう!!」
   .....


不毛な言い争いが続く。
ああ、確かに。
あんたは私に似てるよ。
これは、えんえんと続くよね。

 
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by ania0508 | 2010-06-29 22:19 | | Trackback | Comments(2)
単純な脳、複雑な「私」
前に読んだ『進化しすぎた脳』と一緒に買った本。
本書も講義録で、池谷さんの出身高校での3日間の講義をまとめたものだ。
読み始めてみて、前書と比べると”心の在り処”に寄っていて、
ともすると啓蒙的な部分も感じられたりもして、
いや、こういう内容じゃなくて、もっとメカニカルな構造やプロセスを知りたいんですけど、と、思ってしまったり。
(しかし、どうもこのあたりに書いたことと重なって、「だよなー」と思う自分を、
また、悦に入ってるよこの人、とも眺めたりしながら読み進む。)

本の最後ほう、講義のクライマックスの、
脳のランダムなノイズである自発活動と単純なルールから生み出される美しい(と感じてしまう)秩序、
意思とも思える「創発」やいわゆる「心」は私達の生存に有利なフィードバック機能なのではないか
というあたりが好きな部分だ。

自発活動のゆらぎであるノイズの、脳の回路構造からのウトプットはランダムではなく、べき乗分布している。
脳の回路構造(ニューロンのネットワーク)にルールが存在し、ノイズを秩序に変えていくのだ。
そして、この回路構造は可塑性を持つ。
つまりはニューロンのネットワークを変える事でアウトプットを変えることも可能(だと思う)。
機能と構造の相互作用によって私達は自分自身を書き換えることが可能であって、
そのためには自己認識(こころ)が必要だった。
心は、それを認知した人間の脳にとってこそ意味のあるもので、
それは、より有利に生きるぬくために備わった機能である。

私は、知ること学習すること経験することで、より生きやすく感じるための自分の思考回路が作れるはずで、
そのために勉強ってするんじゃないかなと思ってきたし、娘にもそう言ってきたつもりだったのだが、
この可塑性のメカニズムだったのだな。

人間を人間自身が認知するのは、もちろんリカージョン(入れ子)状態となって、
その認知の仕方については検証は難しいとは思うのだけど、
認知すること自体で自分が立ち現れるのだから...
あれ、これって「我思う、ゆえに我あり」、ってやつなのか?
(ってウィキペディアに聞いてみたら、さらに混迷の森へ。)


3日間の講義で、このあたりの話は最後のほうであり、
普通の解説書としたら400ページも必要ないかもしれない。
けれど、高校生に対して語る語り口と興味を持ち続けさせる講義の構成を考えれば
これだけの分量が必要だったのか、と思った。



単純な脳、複雑な「私」


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by ania0508 | 2010-06-20 07:57 | | Trackback | Comments(0)
進化しすぎた脳
ある朝インターネットニュースを読んだ。

記憶をつかさどる脳の海馬の神経細胞が協調して働く様子を高速で撮影することに、
東京大学の池谷裕二准教授らが世界で初めて成功した。

ラットの海馬の神経細胞が活動時に光を出すよう処理した上で、
約0・3ミリ・メートル四方の神経細胞100~200個それぞれが出す光の変化を撮影。


その画像が、幻想的でとても綺麗だったのだ。
なんだかウルトラマンに出てくる特撮シーンみたい、と言ったのはGさん。あ、うん、たしかに。

ついでに池谷裕二氏のホームページをのぞいて、本2冊、amazonでクリック。
さらについでに、池谷裕二氏を「ぐーぐるさんに聞いてみよう」。
画像から見る表情が、かっこよくもあり、時にはお笑いの人に似てたりと、..あ、私より若い。
池谷氏のホームページには、画像や入門から専門的な情報まであり、読んでいて面白い。
http://www.gaya.jp/ikegaya.htm


で、本書ですが、ニューヨークの中高生に向けた4日間の講義をまとめたもので、これがとても面白い。

生き物って本来ならばまず生存本能や生殖本能が上位にあるものだと思うのだが、
特に人って脳を含めて進化するうちに、いつのまにか感情からの制御のほうが上位に逆転してしまったんじゃないか、と、そんな気がしていた。私達はそれらをもてあまし気味な状況なんじゃないかなあ、と個人的に思っている。なんとなく。

生き物として種を保存すると同時に個人としての気持ちや感情をも大事にするようになってきている私達。
そんな自己を自己と認識するメカニズムや、限られた波長しか検知できない(それも検知する測定器と解析回路とアルゴリスムは個人によって違う)私達が作り上げている固有な世界について、筆者は中高生を相手に分かりやすく生き生きと話している。

若き研究者と、ニューヨークで生活する中高生(慶應義塾ニューヨーク学院高等部)とのやりとりが、
本当にきらきらとして、読んでいて、ああ、私はその”場”が「うらやましい」のだ、と、分かった。
そして中高生といえども(だからか?)、反応がすばやく的確で、知識が深い。

私も中学の頃にこんな本に出会っていたら、と、考えてしまった。
(あ、池谷氏は私より若いからそんなことは絶対ないのだけど)
娘にこの本を読んでもらって、この母の気持ちを娘と分かち合いたいよ、と思ったけど絶対ムリだろうなあ。
母が勧める本は漫画以外は読まないもんなあ。


進化しすぎた脳



 ・脳は、体をコントロールしているが、脳の能力自体も体から制約を受けている。
 ・「心」と言われるものは脳と密接な関係にあるが、クオリアやいわゆる心を生み出すのは言葉である。
  言葉のつくる概念である。
  私達の見ている世界は、個人の使う言葉や経験にほって無意識のレベルで補完される。
  「真実」と「現実」とは異なる。
 ・記憶のメカニズムについて。脳の記憶では事象を一般化(汎化)している。
  そのあいまい性ゆえに柔軟であり、環境適応可能となる。
 ・薬と病気(アルツハイマーなど)について。




■■■
今日は、娘は遊びに、Gさんと母はお昼ごはんをいつものおそばやさんへ。
ここでは、いつもいい感じの音楽が流れていて、和む~。
今日はクラッシックよりのジャズピアノ。
二人でおそばを食べている中盤頃、
  「お。娘さんいないんだったら、昼間から飲んじゃえば?
  いま、ちょうどチャーシューが煮えたとこだし。」

そんなご主人の悪魔の囁きにうっかりとのってしまいましたよ。
Gさんと中ビンを一本を半分ずつ。
で、買出しから帰った後は、お昼寝モードになってしまいました。
畳の上で、体にフィットするクッションでぐーぐー。
 
  今日は草むしりのはずだったのに!
  そんなの、ビールのんだ時点でむりやん。

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by ania0508 | 2010-06-13 21:33 | | Trackback | Comments(2)
奇跡の脳
燃やすゴミの日。
最後にまとめた生ゴミを、うっかり流しの上に置き忘れたことが、とっても悔やまれた朝です。

部活のない学校帰りに友達のおうちで遊ぶ、
 (どうせ家に帰っても勉強しないから時間を効率的に使うのだそうだ)
夜ごはん後に夜寝してしまう、
お風呂は雑誌を読みながら、ゆうに一時間以上入る、
駄目押しで部屋はキタナイ...
娘よ、試験前で勉強しなくちゃって言ってる事とやってることがちがう。

母がひとり、きーっとなる夜です。


■■■
脳って不思議。脳の一部にダメージを受けた場合の感じ方ってどんなんだ?を知りたくて読んだ本。

1996年12月10日、朝、37歳で独身、一人暮らしの脳学者ジル・ボルト・テイラー博士に脳卒中が襲う。
脳内出血で左脳の言語中枢がやられる。原因はAVM(脳動静脈奇形)。
左脳は、外界の3次元情報、時間の感覚、言語をつかさどる。
博士の失った脳機能では、時系列で考えられず、あらゆる瞬間が孤立して存在し、
概念や言葉をひとつにまとめることができない。

左脳はする(doing)、右脳はある(beinng)の感覚、認識であるという。
ただし、右脳と左脳は、分かれて機能しているわけではなく、
脳梁に結合されて脳の右半球と左半球は協調して認識を行っている。

左脳の一部が機能しなくなったテイラー博士が感じたのことは、
自分の細胞と外部との境界が認識できないことによる、
固体ではなく流体のような感覚と宇宙との幸せな一体感であったという。
時間的な感覚が無くなり、言語による分類ができないので、過去のことに囚われたり、
未来のことについて恐怖を覚えることも無い。


人は、それぞれ個別の測定器と個別のデータ処理回路を持つのであるから
外界から受けるエネルギーの認識が人によって違うのは当たり前だと思っていたが、
感覚を時系列で順序だててつなげる部分、
言葉で分類する部分の回路が損傷すると、そんなふうに感じるのか。

さらに興味深かったのは、
左脳のコントロールが弱まった脳(右脳マインド)で感じる/認識する世界観を心地よいと感じたテイラー博士が
外界からの刺激に対する自分の受け止め方を選択していく様子だ。
考え方感じ方はある程度デザインできる、ということだ。
もちろんデザインしようとすること自体、
そしてデザインの方向性を決める部分には個人の特性が反映されると思うけど。
これについて(私は脳卒中ではないけれど)、
自分で外界からの刺激をどのように受け止めるかについては、ある程度制御可能だと思っていたし、
感じたいように感じ、嫌いな感情を選ばないようにするというやり方については大きくうなずく。
 
もちろん、外力などによりマインドコントロールされうることだってありえるのだけど。

ただ、本書は話し言葉で訳してあるのがちょっと読みずらい。

奇跡の脳





気になって左脳とか右脳でぐぐってみたら、左脳右脳テストなるものがあり、やってみたら。
「あいつは口ばかりと言われかねません」のくだりは身にしみてあってるかも。
行動にうつすときに大ボケかましてます。

[Ania診断結果]
○最悪です。左脳だけで物事を考えているようです。1+1=2で物事を見てしまう人です。
理論が先行しますので、納得いくまで行動をしないためあいつは口ばかりと言われかねません。
右脳を強化するために、音楽を聞き絵を描いたり、また、絵を見たりしてみましょう。
物事を全体的なイメージで捉える訓練もいいでしょう。

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by ania0508 | 2010-06-01 22:23 | | Trackback | Comments(0)
アンダーカレント
今日は歯医者の(不)定期健診。
治療はイヤなので、予防を中心に歯医者に行くようにしている。
お掃除してもらってつるつるになった歯を、舌で確認するのが結構好きだったりする。
うおー、つるつる~。

親知らずの痛みはすっかり治まってしまって。
  「じゃあ、抜こうと決心がついたら電話で相談してみてください。
   その場合は4,5日は腫れると思いますから、
   それでも大丈夫なスケジュールを考えてください。」

はい、検討します。(むー。悩む)

■■■
テスト前だというのに、お風呂前から娘は、よう寝とる。
血は争えない...(-_-;)

■■■
本を読み終えたので、メモしようかとも思ったけど今日は気分も時間ものらない。

でも紙面が余ったので(え?)、ずっとまえに読んだ本。

アンダーカレント



夫が失踪した。女は家業の銭湯を続けながら夫の心と身体を探偵さんと一緒に追う。

この話が、私にとって人工物っぽい現実感の無い話に思えるのは、
人には心の底流(undercurrent)に本当の自分があって、
ウソじゃない自分があって、
そして人はお互いに分かりあえることができる、
ということが物語の基底に感じられるからなのかもしれない。
人は意識的にあるいは無意識的に自分をウソで固めるし、
けれどもそれは本人にとってはウソではないかもしれないのに。
”本当の自分”ということ自体が胡散臭い。
どの自分も自分だろうと思う。

水のように静かに淡々と。まわりの個性ある登場人物が、物語を最後まで読ませる。



夫と女は最後に再び会う。
(やはり現実ではない物語。)


昔、近くて遠い人が突然いなくなったことがある。
もう一度会いたいと20年経つ今でも思っているが出会うことはなかった。
訳を聞いても”分かる”ことはないだろうと思う。
けれど聞きたいなと今でも思っている。





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by ania0508 | 2010-05-31 23:27 | | Trackback | Comments(0)
レンタルチャイルド
バックパッカーU君がインドに行った時の話では
「インドの人たちは、なんだか素朴でいい感じなんですよ。危ない感じはないですね。」
だった。

■■■
本書は、「物乞う仏陀」にあった、インド、ムンバイのレンタルチャイルドや路上生活の子供たちを
2002年、2004年、2008年と追ったドキュメンタリー。
職業乞食でもある路上生活者は、体の一部が無い、目が見えない、
または子供をレンタルしてより悲惨な姿をさらすほどもらえる喜捨も多い。
マフィアに無理やり手足を切断される者、自ら進んで目をつぶす者もいる。生きていくためだ。

経済成長を続けるインドでは、路上で暮らす子供たちやマフィアの勢力図にも変化があった。
経済が良くなれば、下層に暮らす人々の暮らし向きも少しずつ良くなるのではないかという期待も持って読んだ。
2002年に筆者がインドを訪れた時にレンタルチャイルドだった少年たちは、
2004年にはあるものは死に、生き残った者はマフィアとなっていた。
今度は女乞食やヒジュラが彼らのターゲットとなる。
2008年には、インドの経済発展のおかげで
高層ビルも立ち並び、街はきれいになり警官による取り締まりも厳しくなった。
路上の少年マフィアや女乞食も姿は見かけられなくなった。
しかし新しい南アフリカから流れてくる黒人たちがのさばるようになる。
以前のマフィアたちは解散し、残った少年たちは郊外で暮らすようになっていた。

彼らの生活は良くなっていない。(もちろん、数は少ないが路上生活から這い上がる者もいる)
乞食と身を売って生活することしか知らないからだ。
こんな数年単位の短時間では、勢力関係が変わっただけに過ぎないのか。

この本の感想など、私にはとても書けそうも無い。

レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち
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by ania0508 | 2010-05-23 15:41 | | Trackback | Comments(0)
オー!ファーザー
連荘で出張だと、本が読める。(前向きに)
夕ごはんはしょぼく、カレー連荘。(ゆで卵は娘に食べられた)
コントラバスの練習はできない。(気力がもう無い)

■■■
新幹線で読了した、この『オー!ファーザー』、
伊坂幸太郎の第一期最後の作品らしい。(ご本人が第一期最後、と、あとがきで書いてた。)

物語は、前半のゆっくり周到な伏線から、
後半の事件、解決へ加速し、一気にラストまで読める。
面白さ...は「伊坂」本としては平均くらい。ひねり、は無い。
でも、「あ、この会話の切り替えし、いつか使いたい」と
思わせるネタがあちらこちらにあるのはいつもながら。

主人公の由紀夫には父が4人いる。比喩でなく、4人いる。
母の知代は4人の男性といっぺんに結婚式を挙げ、由紀夫が生まれて6人で生活しているのだ。
この、4人の父は個性豊かで、
ギャンブル担当の鷹、体力担当の勲、女性関係担当の葵、知性担当の悟が
それぞれの特色を由紀夫に注ぎ込んで愛情も注ぎ込んで生活している。
ただし、母の知代さんがどのように四股をかけたのかとか、
4人の夫との夫婦生活はどうしているんだ?とか、
由紀夫はいったい誰の子供?とかの下世話野次馬話は出てこない(ので気になって...)。
ファンタジーのような寓話のような児童文学のような趣の物語。


こんな色とりどりの家族に囲まれた生活もいいなあ、と思ってしまうのでした。

オー!ファーザー
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by ania0508 | 2010-05-20 23:21 | | Trackback | Comments(0)
タウ・ゼロ
今日は5時前に起きて、お弁当作り。
眠いです。

そんな状況でも、新幹線では眠らずに読みかけの「タウ・ゼロ」を完読。
その後爆睡。座席お隣の方のほうへ頭がゆらゆらと...。

■■■
50人のエンジニアや科学者を乗せた恒星間宇宙船「レオノーラ・クリスティー」号でおきた不慮の事故。
減速システムが壊れて、船に閉じ込められた50人と、
3Gの加速、光速に近いスピードで時空を超えて進む船での人間模様。
そんなお話。一気に読めます。

1960年代に書かれた本書は、
古典ビッグバンと現代ビックバン理論の端境期の物理学を土台にして書かれている。
タイトルのタウ・ゼロのτは、
 τ = √(1-v^2/c^2)
であり、τがゼロに近づくということは光速に近づくということだ。
時間の同時性が失われる。ウラシマ効果である。

主人公のレイモントは、前向きに、あきらめないアイデアマンである。
(こんな人がいたらお目にかかりたいくらいの出来すぎの男だ。)
このレイモントを中心に科学者たちが、その頭脳と忍耐と絶望と希望でラストへ向かう。

SFを読むと、宇宙の時空のスケールと、相変わらずの人間性の、そのスケール対比の前に呆然となってしまう。
私はその感覚を味わうためにSFを読む。

宇宙物理学の変遷、バサード・ラムジェットエンジンについての巻末の解説も興味深い。
バサード・ラムジェットは、物理学者ロバート・W・バサードが考案した恒星間旅行用の推進方式(らしい)で、
宇宙空間に存在する希薄な水素をかき集め、核融合の燃料として使用するという方法。
数多くのSF作品に登場する(らしい)。
というか、後書きや解説を読んでいると、
少年がそのまま大人になったような興奮度が伝わってきてなんともほほえましいというか...
SF好きの大人って、こんなんだよなあ、と思いました。

タウ・ゼロ (創元SF文庫)



追記:
夜、帰ってきたGさんに、「読み終わったよー、あれ、舞台劇とかでやれそうな話だね。」と話したら、
「だね、あれは宇宙を舞台にしたプロジェクトマネージメントの話なんだよ、実は。」。

あ、なるほど、そうかも。


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by ania0508 | 2010-05-14 22:25 | | Trackback | Comments(0)
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
フィリップ・K・ディックのSF。Gさんに借りる。

「お風呂で読んじゃダメ」と、きつく言われたので、ちょっと遅くなった。
主婦の空いてる時間と言うとお風呂時間なんですよ、Gさん。
(夜は早々に眠くなってしまうので)
買いなおしてお風呂で読もうかと思ったけど、朝早く起きて読みました。

映画(ブレードランナー)の、夜の黒色に色彩豊かな色合いや密度の濃い物語とも違って、
小説の色彩全般は砂色と夜の色、砂を食むように淡々と物語は進み、ラスト、救いも希望も無い。

生き物、アンドロイド、アンドロイドより知能が低い分裂症の男を持ってきて、
生き物とは?と提示する定型的な構図より、
電気羊を飼うことを恥とし、猫や馬、山羊、ヒキガエルをなんとか飼いたいと思う滑稽な部分が
とても悲しくて好きだ。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

長く続いた戦争のため、放射能灰に汚染され廃墟と化した地球。生き残ったものの中には異星に安住の地を求めるものも多い。そのため異星での植民計画が重要視されるが、過酷で危険を伴う労働は、もっぱらアンドロイドを用いて行われている。また、多くの生物が絶滅し稀少なため、生物を所有することが一種のステータスとなっている。そんななか、火星で植民奴隷として使われていた8人のアンドロイドが逃亡し、地球に逃げ込むという事件が発生。人工の電気羊しか飼えず、本物の動物を手に入れたいと願っているリックは、多額の懸賞金のため「アンドロイド狩り」の仕事を引き受けるのだが…。


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by ania0508 | 2010-05-06 22:37 | | Trackback | Comments(0)
数学は最善世界の夢を見るか?
朝の一時間でなんとか資料を作成し、ボスにチェックお願い!の付箋紙をつけて出してきたら、
その資料自体が不要になっちゃった。ま、そんなこともあるわな。

出張に行く途中で「のだめ 24巻」、お買い上げ。
電車の中で読む。しばし仕事を忘れる。(←いいのか?)
新幹線では、読みかけの本を読了。結構時間かかってしまった。
忘れないうちにメモ。

■■■
キリスト教の価値観に浸されたルネサンスの世界において、
ガリレオやライプニッツはこの世界が神によって創造されたと信じていた。

科学は神の意思を物理的世界で知ろうとし、宗教はモラルの世界で知ろうとする。
モーペルティユは、「最小作用の法則」によってこの二つが永遠に和解すると信じた。
最小作用の原理によれば、自然はあらゆる可能な運動の中から、作用を最小にする運動を選び取る...
この「選び取る」という、そのことにモーペルティユは神の叡智を見たのだ。
そして、神の意思はといえば、世界をより良くする、今ある世界は最善でなければならないはずなのだ。
しかしオイラーやラグランジュの変分原理では、一般には作用は最小化も最大化もされず(最適解ではなく)、
単に停留化されるに過ぎない。

神の意思はなかった。
数学は夢を見させてはくれなかった。

プランク定数hの導入とファインマンの理論では、物体はどの経路も通る確率があり、
自然界はある確率にしたがってランダムに起こる。
私たち、私たちの周りにある物体を微視的に見ると、
素粒子の尺度にはランダム性があり人間の尺度にはカオスがある。
停留作用はそれらにはさまれたところでしか成り立たない。

それらが自然の様相なのか、その一部にすぎないのかも、わからないけれど。

本書の後半では、生物学や経済学、個人と社会、社会学における最善とは?と、
少し啓蒙的な内容になり、合理主義の提案がある。
しかし渦中にいる私たちが近視眼的にでも
「全体としてのよりよいもの」を判断できるはずがない、と思っている。

私は小さな自分の判断にしたかって、自分の生を全うするので精一杯なのだ。



数学は最善世界の夢を見るか?―最小作用の原理から最適化理論へ

カバーのデザインがなかなか素敵です。




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by ania0508 | 2010-04-28 23:14 | | Trackback | Comments(0)